profile

さくら

monthly

category

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
橋田須賀子にも劣らない
 22歳にして人生の修羅場という言葉の意味を知ったと思いました。


 
 祖母の足が悪いこともあって、うちから近い公園で話し合いをしたのですが…とても思い出したくないというか、二度と口にもしたくないような内容でした。「渡る世間は鬼ばかり」も真っ青です。

 中でも祖母がいちばんきつかった…祖母が来てしまったのが痛かったですね。「この子(=私)を説得しないあんたらが悪い」とか、相手の親に向かっても言い出すし…。いつもはおとなしい旦那ちゃんもさすがに口調が激しくなるし。私は結局泣いてばかりになってしまって…言いたいことは言ったけど。

 結局、両家の子供に対する教育というか考え方が違いすぎたんだと思います。うちは「親の金で食べているうちは一人前ではない」「誰が大学まで行かせてやってると思ってるんだ」という感じで、向こうは「成人したからには本人たちに決定権がある」「子供の人格は親のものではない」という考え方。激しい意見のぶつかり合いでした。特に女親同士は険悪でした。男同士は比較的なごやかに話し合うことができていましたが。

 旦那ちゃんのご両親が帰ったあと、うちの両親+祖母と、私たち二人で私の家に行きました。祖母はカンカンに怒っていて、「こんな孫はうちには生まれなかったんだ」と言って帰ろうとしていました。母はなんとか私を説得しようと必死でしたが、私は産むことで不幸になるという考え方には絶対同意できなかったので、結局祖母一人で帰らせるわけにはいかないので父と母もその日のうちに帰ることになりました。家を出るとき、母はあまりに悔しかったのでしょう、20発も30発も、思い切り私の頬や頭を殴って出て行きました。私も「それで気が済むならいくらでも殴りなさいよ!」みたいなことを言ってしまいました。



 バタン!と、壊れるかと思うほど大きな音をたててドアが閉まった後。

 旦那ちゃんのスーツの胸にしがみついて、私は嗚咽を漏らしながら彼の服を濡らしました。人前では滅多に泣かない私でしたが、そのときばかりは声をあげて泣きました。


 その親に育てられたのだから、言っていることも理解る。だけど、私はどうしてもこればかりは譲ることができない。
 愛しているのに、わかりあえないことが悲しかった。


 しばらく泣いていたけれど、それだけでは現実はどうしようもないので、現実的に、つまりはこれからの学費とか家賃とかをどうしよう、ということを考え始めました。あんな縁切り同様のような決裂の仕方をしたのだから、一切の援助がなくなっても仕方ないと思ったのです。

 お義父さんはうちが学費を出そうかとも言ってくれましたが、さすがに何十万単位のお金を世話になるのはこっちの気が引けるし、私は卒業はできなくてもいいと思っていました。そこまでして勉強するほど大学の勉強が好きなわけではないし、いままで学んできたことは決して私の中で無駄になるわけではないと思っていたから。


 たいへんな一日だったけど、旦那ちゃんは明日仕事があるので帰らねばなりません。私はあの家にどうしても今日は一人でいたくないと思ったので、友達の家に泊めてくれといって夜の9時ごろに押しかけて泊めてもらいました。こういうときに泊めてくれる友達がいるっていいなと思いました。


 お腹の子へ。今日パパはとても頑張って戦ってくれたよ。
スポンサーサイト
【2005/05/22 01:04】 12週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<その後 | ホーム | 入院3>>
コメント
コメントの投稿











管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://sakuray.blog11.fc2.com/tb.php/100-e0054ecb
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。