profile

さくら

monthly

category

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
電磁波カットエプロン
 今日の夜、いきなり郵便小包がきて何かと思ったら、旦那ちゃんが電磁波カットエプロンを送ってくれたのでした~。ちゃんと手書きの手紙つき。やっぱり手書きっていいよね。私も旦那ちゃんに何か送るときは、必ず手紙を添えるようにしています。

 でもカエル柄の可愛い便箋(と、おそろいの封筒)なんてどっから出してきたのさ~!(笑)

 ちゃーんと、エプロンしてPCに向かってますよ!ありがとう~。


 午後から晴れたので区役所へ。転入届を出しに行ったのだけど、転出した日が平成14年4月!つまり大学に入った年になってたのです。通常転入届は転出した日から14日間のうちに手続きしなければならず、「居住証明になるものを持ってきてください」って言われて2度手間~!(怒)かといって実家の母に文句を言うわけにもいかず、ひとりでプンプンしながら家に戻ったのでした。
 で、アパートの賃貸契約書を持って再び区役所へ。ちょっと時間かかったけど、手続き終了して、「母子手帳もらいたいんですけど」と言ったら3階だと教えてくれたのでもらいにいきました。

 担当のおばちゃんはとても優しそうで、これなら相談にも行けそうだな~という感じを受けました。母子手帳と検診票をくれるだけかと思ったら、いろいろ冊子やら書類やらくれるのね!へぇ~。ちょっと見直した東京都。

 そして検診を受けにいつもの診療所へ。病院につきそってくれた看護婦さんがとても気にかけてくれていて、ここの看護婦さんは本当に優しいな~(涙)と思ったり。
 つわりで入院したり、親と大喧嘩したり、いろいろあったものの、

「赤ちゃん元気に育ってますよ~」

 先生のこの一言で何もかも吹っ飛びました。ひたすら安心。うれしい。

 そうそう、体重を量ったら、(服を着て)42.8キロ。うわぁ~、こりゃみんなに痩せたって言われるわけだ…。先週1週間はまずまず食べてそれでこの体重(日曜吐いたけど)。もっとひどかったときはいったい…!もとの体重は、ええいぶっちゃけ、50キロ近くあったので、約10キロも痩せたのか…。ってか、今日の体重でいったら、ず~っと「標準」値だったBMIは…約18.3!「やせ」だ~!妊娠してるんでなかったらバンザーイ!なんだけど、早くご飯が食べられるようになりたいよ~!

 今日もらった超音波の写真では、体長は書いてなかったのだけど、13週と4日、予定日12/2。最終生理からの計算よりおっきく育っていて嬉しいんだけど、検診に行くたびに予定日が早まるうちの子!間に合うのか卒論!


スポンサーサイト
【2005/05/31 23:50】 13週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
超音波写真5/31
baby0531.jpg



13週と4日だそうです。
【2005/05/31 16:49】 15週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
コーンフレーク
昨日ほどではないけど、起き上がるとだめっぽいです…。

コーンフレーク買っといて良かった~。コーンフレーク生活になっています。
【2005/05/30 14:26】 13週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
つわり復活。
 朝ごはんを食べなかったらつわりがまた~(涙)バイトだっていうのに!

 結局、バイト3時間しかもちませんでした…。吐いても続けろってのは酷だよ…。

 バイト中に1回、帰ってから1回吐いてしまいました。でも寝られてよかった…。
【2005/05/29 23:28】 13週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
納豆食べた。
教育実習担当の母校の先生にやっと電話しました(遅)
怒られることもなく普通で(笑)「あんま気にせんでええよ~」と言われました。別に校長に一筆書かなくてもいいらしい(こないだ大学の学事から呼び出されたときに教育ナントカ委員長宛に一筆書けって言われたけど)。意外と寛大だな。帰ったらまた遊びにおいで、って言ってもらったので、嬉しかった。

知ってる先生でよかったな~(^ ^;) 社会の先生で、倫理を習ってたのです。そして演劇部顧問で、私は高校時代吹奏楽部だったにもかかわらず、親友が演劇部だったため演劇部の子の方が仲が良かったのです。そして元彼が演劇部だったんですね(笑)でもこの先生、当時元彼が浮気した演劇部の後輩の子と私を見て「お前の妹?」って言ったんですよ~!う~ん、似てるのか!と思ってちょっと唖然とした思い出が。ま、その後彼とは今も良き友達でいるんですけどね。

懐かしき昔の思い出でした。。。


今日はサークルに行きました~部室にはほぼ日参しているのですが(一緒にご飯食べる人がいないから!)練習に行ったのは久しぶりな気がするなぁ…。
休部中で部室とか練習とか行くってどうよ、って自分でも思わなくもないのですが、まだまだ教え残したことはいっぱいある~!!演奏はお腹が大きくなるにつれてできなくなってしまうけど、見てあげることとかアドバイスとか、楽典ならできるから、できるかぎりの指導をしていきたいな~。

転出証明書が届いたので月曜に区役所行って、転入届出して、母子手帳もらいに行くもんね!



追記。
私信>Kさちさま(笑)
今日はお茶に付き合っていただいてありがとうございました!またお話してくださいね~。
【2005/05/28 21:48】 13週 | トラックバック(0) | コメント(4) |
今日からブログ。
前にも一度ブログやってたんですが、HPの方に移して削除しちゃったので一から。さほど面倒な作業じゃないんですけどね。

ちゃんとHPにしようかな~とも思ったんですが、さすがに4つ目のHP管理となると大変だし、別に人に自慢できることしたわけじゃないので。そういうHPって、BBSとか設置すると余計に心無い書き込みとかもあるものなんだな~とこないだからサイトめぐりしていて思ったのでやめました。ブログもコメントできるから変わらない気もするけど(笑)やっぱイタイですから、イタイ書き込み見るのは(苦笑)。

シングルマザーのサイトとか参考にしようと思って探したりしたんですけど、やっぱり私はけっこう特殊な状況(大学、一人暮らし、旦那は遠距離)なので、なかなか自分に合うサイト(?)ってないな~と思って。だったら作っちゃえ!みたいな…(←それで3つも作ったのに懲りない人)そして、HPだと上に書いたようにイロイロ面倒臭いので(笑)ブログに。

サークルのみんなや友達とかに状況を知らせたい(自分が言いたいだけ/笑)っていうのと、やっぱり何も知らない人に軽々しくとやかく言われたくない!って思ったのと。
そして、私の知り合いを含めて、いろんな人に、性のこと、ちいさな命のこと、そういうことを考えて欲しいと思うこと。そして、もしも私と似たような立場の人がいたらここを見て少しでも元気を出してくれたらいいなということ。

そういう思いから、妊娠が分かってから日記帳をつけているにもかかわらず、WEBで公開できる形にしようと始めました。

27日より前の日記は、日記帳をもとに書いています。少しづつ追加していきます~。
【2005/05/27 22:07】 13週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
妊婦って…
今日は人間学のT山先生のところに行った。なにせ毎回リアペのある講義を前期の半分まるまる休んだのだから、このまま出席してハイ単位どうぞ、って訳にはいかない。
だけど事情を説明したらとても親切にしてくれて、就活で休んだ学生と同じ扱いとして、最終レポートに小レポートを追加で提出すればいい、とのこと。「正当な理由だからいいですよ」って言われてちょっとびっくりかな~。確かにすんごいつわりひどかったのだけど、妊娠って病気じゃないわけだしね。優しいな~と思った。

そのあと卒論担当のM岡先生のところに行った。Mちゃんはとても親切にしてくれて、たくさんアドバイスをくれました。逆に「ここまでしてもらっていいの!?」って思うくらい。本当にみんなよくしてくれる。妊婦って得かも?

押田茂実先生の「死人に口あり」買いました。今年は法医学の講義とってないけど。去年買おうと思ったときには出てなかったので嬉しい~(笑)

旦那ちゃんは某OBさんと話してまーたぐるぐると悩み始めてしまったみたいでした。今更おろせって言われたらどうしよう、とかちょっとだけ思ったけどまぁそれはよっぽどじゃないかぎりないだろう…と、信じています(^_^;)

学生で妊娠したことは決してほめられたことではありません。そのことについていろいろ言われるのは仕方ない。自分たちが犯した失敗なのだから。
だけど、私たちは軽い気持ちで「産む」ということを決断したわけではない。真剣に悩み、考え、傷つき、やっと出した決断なのです。苦しい思いも、残酷な傷つきかたもたくさんしました。それを乗り越えて今私たちはようやく一歩踏み出すことができたのです。私は自分の決断に誇りをもって生きていきたい。そういうプロセスがあったことは、直接話をしないかぎり他人には理解できないことであって、何も知らない人に私の決断に対してとやかく言われる筋合いはない。軽々しく噂したりする人の人間性を疑いますよ。
上でも言ったけど、私がまだ学生の身であることについて言われるのなら普通の倫理観として当たり前だと思います。だけど、「産む」という決断を下したことについて、事情を知らない人に口出しされたくないです。私たちのことを真剣に考えてくれる人じゃない人、ただ噂をしたいからしているような人に言われたくないです。うちのサークルにそういう傾向があることは本当にイヤな一面なんだけど、まぁ裏で噂が広まっているのはもう止めようがないし私の耳に入らないかぎり訂正のしようもないのだけれど、もし私が言われたら言い返してやります。

だってさ、そうじゃない?

  あなたは私の何を知っているの?
  自分だったらどうするか、本当に真剣に考えたの?

  いのちがかかっているんです。簡単に決めたわけない。


こういう気の強い(っていうのかな)ところは本当に私と旦那ちゃんの正反対なところです。こういうことについて旦那ちゃんと議論してると疲れます。うぬー。
【2005/05/25 23:14】 12週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
その後
 昼間、会社を休んだらしい父から電話がきて、卒業はしてほしいから、とりあえず学費と家賃は今まで通りうちから払うということになった、と連絡がありました。よかった。やっぱり、結局親は自分の子がかわいいのだと思いました。住民票も、転出届を出してくれることになりました。
【2005/05/23 01:41】 12週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
橋田須賀子にも劣らない
 22歳にして人生の修羅場という言葉の意味を知ったと思いました。


 
 祖母の足が悪いこともあって、うちから近い公園で話し合いをしたのですが…とても思い出したくないというか、二度と口にもしたくないような内容でした。「渡る世間は鬼ばかり」も真っ青です。

 中でも祖母がいちばんきつかった…祖母が来てしまったのが痛かったですね。「この子(=私)を説得しないあんたらが悪い」とか、相手の親に向かっても言い出すし…。いつもはおとなしい旦那ちゃんもさすがに口調が激しくなるし。私は結局泣いてばかりになってしまって…言いたいことは言ったけど。

 結局、両家の子供に対する教育というか考え方が違いすぎたんだと思います。うちは「親の金で食べているうちは一人前ではない」「誰が大学まで行かせてやってると思ってるんだ」という感じで、向こうは「成人したからには本人たちに決定権がある」「子供の人格は親のものではない」という考え方。激しい意見のぶつかり合いでした。特に女親同士は険悪でした。男同士は比較的なごやかに話し合うことができていましたが。

 旦那ちゃんのご両親が帰ったあと、うちの両親+祖母と、私たち二人で私の家に行きました。祖母はカンカンに怒っていて、「こんな孫はうちには生まれなかったんだ」と言って帰ろうとしていました。母はなんとか私を説得しようと必死でしたが、私は産むことで不幸になるという考え方には絶対同意できなかったので、結局祖母一人で帰らせるわけにはいかないので父と母もその日のうちに帰ることになりました。家を出るとき、母はあまりに悔しかったのでしょう、20発も30発も、思い切り私の頬や頭を殴って出て行きました。私も「それで気が済むならいくらでも殴りなさいよ!」みたいなことを言ってしまいました。



 バタン!と、壊れるかと思うほど大きな音をたててドアが閉まった後。

 旦那ちゃんのスーツの胸にしがみついて、私は嗚咽を漏らしながら彼の服を濡らしました。人前では滅多に泣かない私でしたが、そのときばかりは声をあげて泣きました。


 その親に育てられたのだから、言っていることも理解る。だけど、私はどうしてもこればかりは譲ることができない。
 愛しているのに、わかりあえないことが悲しかった。


 しばらく泣いていたけれど、それだけでは現実はどうしようもないので、現実的に、つまりはこれからの学費とか家賃とかをどうしよう、ということを考え始めました。あんな縁切り同様のような決裂の仕方をしたのだから、一切の援助がなくなっても仕方ないと思ったのです。

 お義父さんはうちが学費を出そうかとも言ってくれましたが、さすがに何十万単位のお金を世話になるのはこっちの気が引けるし、私は卒業はできなくてもいいと思っていました。そこまでして勉強するほど大学の勉強が好きなわけではないし、いままで学んできたことは決して私の中で無駄になるわけではないと思っていたから。


 たいへんな一日だったけど、旦那ちゃんは明日仕事があるので帰らねばなりません。私はあの家にどうしても今日は一人でいたくないと思ったので、友達の家に泊めてくれといって夜の9時ごろに押しかけて泊めてもらいました。こういうときに泊めてくれる友達がいるっていいなと思いました。


 お腹の子へ。今日パパはとても頑張って戦ってくれたよ。
【2005/05/22 01:04】 12週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
入院3
 入院中は本当にいろんな人にお世話になりました。見舞いに来てくれたサークルの友人たち、本当にありがとう!

 となりのベッドの人のお母さんが100円ショップでいろいろ買ってきてくれたり。向かいの人がパンツくれたり。本当に申し訳ないくらいありがたい。

 昼は父まで上京してきて驚きました。でも父は母と違って、最終的には認めてもいいけど、まだまだ話し合いが足りないと言われました。表立ってではないけど、一応味方になってくれたようでした。そして、父の若い頃の話をいろいろしてくれました。

 夕方、ちょうどご飯の時間に見舞い客らしき人が現れたので、誰の見舞いかな~と思ってたら、なんとお義父さん(滝汗)でした!しかも、持ってきた花束がピンクの薔薇!←同室の人たちに「かわいいじゃない」って言われました(笑)

 前日に初めてメールがきてたのですが、まさか翌日に会うとは思わず…。ひたすらびっくり。でも、悪いと思いつつも、ご飯は時間通りに食べないと下げられてしまうので、ご飯を食べながら話しました。優しい雰囲気はやっぱり親子似てるのかな~と思いましたが、お義父さんの喋りは立て板に水というか、途切れない!ほとんど仕事の話だったけど…。息子はお母さんに似て人見知りタイプなのに、お父さんの気さくさにはびっくり。でも、「二人とも成人しているんだから、自分たちの意志で決めなさい」と言ってくれました。
 お義父さんが帰ったあと、同室の人たちから「いまの、親戚の人?」と聞かれるほどでした。「初対面です」って言ったらみんな驚いてました。そりゃそうだ…。


 しかし、親子でメールの文章ってあんなに似るんですね!お義父さんからきたメールの文体が、息子に超そっくりでした…!思わず、国語学的に興味深いなんて思ってしまいました。

 夜になって、仕事から飛んで帰ってきた旦那ちゃんに会いました。顔が見られてよかった。


 私がセッティングして、明日は退院して両家の親ともども話し合いをすることにしました。父には、心の中では味方だけど、話し合いでは自分たちでがんばりなさいと言われました。言うのもなんですが、父の給料は低く、うちは何かと母方の祖母の援助に頼らないととてもやっていけなかったのです。私の学費もかなり祖母が出してくれていたりしたのです。お金のことを出されたら、父は祖母に逆らうことはできないのだと、私にも分かっていました。お金っていやらしいと心底思いました。


 今日は旦那ちゃんの誕生日でした。とてもそれどころではなかったけど。
【2005/05/21 00:30】 12週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
入院2
 尿の量をはかるためトイレに行くたびにコップに取ってに袋に入れないといけなかったり、風呂に入れなかったり(温タオルが配られるけど)おかゆキライだけど病み上がりなので仕方なかったり、点滴されてる腕が痛かったり、大変だけど、同室の人はみんないい人でよかった。みんな切迫早産だったようです。そして私は10代だと思われていた…。

 しかし携帯置いてきたのはイタかった。旦那の番号すら覚えてない。親のケータイもわからない。
 よたつきながら、唯一サイフの中にあったバイト先のレシートを見て公衆電話から電話したのですが、誰もいけそうになくて(結局、あとでオーナーが様子を見にきてくれましたが無駄足させてしまって申し訳ない)。実家の番号はわかっていたけど、平日なのでもちろん父は仕事。


 しかもうちの母が祖母と一緒に上京してきてしまい、なのに連絡がとれないものだからあやうく大騒ぎに…。結局大家さんに鍵を開けてもらって、携帯を持ってないせいだとわかったらしいのですが、さらに所在がわからず…。結局、ぐちゃぐちゃの部屋の中に転がっていた病院の冊子を見て、入院していることが判明したのでした。

 病院に来た母に、ベッドに携帯と充電器を投げつけられました。私は体調がいいとは言えなかったけど、とてもここで話はできないと思ったので休憩スペースに場所を変えて話すことに。

 祖母は今にも私をひきずって処置室に入っていかんばかりの勢いでした…。あとはひたすら世間体かな。
「あんたひとりがいいかげん意地張って…」みたいなことをいわれたけど。

 私も20歳過ぎているので、本人の意思なしには無理矢理中絶などできないとわかっているので、何を言われようと絶対下ろすなんて言うもんかと思っていました。お腹の命を守ってやれるのは私だけなんだ。

 どうして、産むという選択をすることが不幸になることだって決め付けられるんだろう。私は絶対にそうは思わない。ここでおろしてしまったら必ず後悔する。失った命は戻らない。だけど、産むならば、幸せになる努力をすることはできる。

 さんざん言われましたが、私があまりに頑ななのであきらめてその日は帰ってくれました。



 実験の途中なのに心配して病院まで来てくれたMさん!ありがとう。迷惑かけてごめんよぉ。
【2005/05/20 22:50】 12週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
入院
 3日くらい前から、つわりが相当ひどくなって、ウイダーインゼリーしか食べられません…。だんだんそれすらも吐くようになって、ついに昨日の夜、水さえも飲めないのに一晩中吐いて吐いて眠れませんでした。赤いものが混じっているのは血なのか?もうかなりやばいと思って、なんとか病院に行きました。スカートからのぞく自分の脚があまりに病的に細っていて気味悪い。

 点滴を打ってもらって、すこしよくなったかなと思ったら再び吐いてしまい、診療所では入院できないので、総合病院に救急車で搬送されました。生まれて初めて乗った救急車がつわり……。

 しまったと思ったのは携帯を家に置いてきてしまったこと。救急車がうちの目の前を通過したけど、止めてくださいってわけにもいかず…。しかもこの日はとても公衆電話で電話できる状態ではありませんでした。病室へ行くのも車椅子(これも初めて乗った)。

 24時間点滴を受けることに。
【2005/05/19 22:50】 11週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
みんなに。
 寒くて少しつわりが…。少しつらい。
 でもつわりだと知らずに苦しんでいた時間が長かったから、今はまだいい。この子のためなんだと思えるから。原因不明の方が辛かった。

 今日は彼が愛知から帰ってくる日。(勤務先が愛知になったため、一人暮し中なのです。実家千葉だし)


 サークルの同学年の仲間をあらかじめ集めて、妊娠のことを話しました。産むということは、私の場合これから楽器の演奏が不可能になるのとイコールであり、冬の定期演奏会にも出られない以上、休部という形をとるしかないからです。ただ退部にしないのは、演奏はできなくても何らかの形で関わっていたいと思ったから。旦那ちゃんも同じサークルの卒団生なので、私も卒団だけはしたかったからです。
 みんな驚いていたけど、できることは力になるよ、と言ってくれた。うれしかった。こういう仲間がいてよかったと思いました。後輩に話すかどうか悩んだけど、みんなに相談したら「変に噂にならないように、ちゃんと話しておいた方がいいんじゃない」とアドバイスしてくれたので、合奏前の時間を借りて話しました。みんなぽかーん、としてました…当たり前だけど。

 旦那ちゃんにうちの近くで会いました。結局お金の話ばかりになってしまったけど、しょうがない。出産にはお金がかかるのだから。
 コピーではいささかうつりが悪かったので本物の写真を見てもらって、おなか触ってもらいました。やっぱりそうすることで実感も少しは湧くんじゃないかと思って。

 親には手紙を書きました。電話だとまた泣いてしまって自分でも興奮してしまって、うまく思っていることを伝えられないと思ったからです。その中で、父が(こないだ電話したときに)おろして人生の軌道修正をしろと言ったことだけは許せない、と書きました。おろしてプラスマイナス0になるのは、私の周りの人だけです。周りの人は忘れても、私は絶対に「なかったこと」にはならないのです。おなかのなかにいままであったものが、からっぽになってしまうのです。心の中の何かと一緒に。おろしたからといって、赤ちゃんがいなくなったからといって、私は決して戻れはしないし、忘れられないのだから。



 男性も女性もだけど、特に男性にはつわりもないし、おなかに何も実感がないからわからないかもしれないけど。だけど、いままでお腹の中で育ててきたいのちがなくなってしまうということ、それは決して0に戻す行為なんかではないのです。なかったことにはならないのです。本人じゃないからそんなことを思うのです。ここを見ている人に、これは決して忘れてほしくないと思います。だから、前の日記を見返しては泣きながらもこの日記を書いています。当時の気持ちを思い出すだけで涙が溢れます。だけど、伝えたい。そして、私自身が、決して忘れたくないと思うから。だから、残します。
【2005/05/14 19:10】 10週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
決意。
 彼のお母さんと会いました。初めて会うのがこんな形で申し訳ないと思いました。(前にも2,3度彼の家に行く予定があったのですが、そのたびにアクシデントがあったりして結局行ったことはないままだったのです)
 私もとても緊張していたけど、お義母さん(←いまの時点でこう呼ぶのは気がひけるけど、他になんて呼んでいいのかわからない)も緊張しているように見えました。でも、話してみたらいい人だと思いました。二人が決めることなのだから、あなたはどうしたいの、と、まず聞いてくれました。そして、私の体のことをずっと心配してくれて、何かあったら連絡してねと言ってくれて。とてもうれしくて有難くて、喫茶店なのに私は大泣きしてしまいました。
 いざとなったら一人でも産む気でいたけど、こう言ってくれる人が相手の親なら、やっていけると思いました。本当に、産む決意を固めました。そして、私自身は卒業にはあまりこだわっていなかったけど(3年間やってきたことが無駄になるわけではないから)、彼も彼の親も、卒業してほしいと言っていたので、卒業と出産、両立することにしました。

 
 午後から大学へ行き、保健体育科のK本先生のところへ行きました。卒業する、という道を選んだ以上、予定日が12月10日と言われていたので、卒論提出期間の真っ最中にあたってしまうため、1ヶ月早く卒論を提出しなければならないからです。いや私は国文科の学生なのですが、いかんせんうちの学科の教授はみ~んな男。男性というかおじいちゃんと言った方がふさわしい人が多かったり…。というわけで少し言いにくかったので、まずは昨年、女性のからだと健康についての講義をとったK本先生のところに行ったのでした。
 K本先生はすごく応援してくれて、力になってくれて、とてもいい先生だなぁと思いました(味方してくれたっていう意味じゃなくて、考え方とかが)。あなたが産むという決断をしたこと、私はとてもうれしい。と、言ってくれました。以前にもK本先生に相談に来た学生たちがいたそうで、でも結局おろしてしまったのだそうです。先生の部屋の棚の上には子供の写真が飾ってあって、先生自身も一人目を流産してしまったとのことでした。今でもやはり、あの子が生まれていたらいまごろ大学生だったなぁ、と考えることがあると。
 私立大は学校によっては妊婦で通うことは許されず、退学のところもあると聞いていたので、うちの大学はどうですかと聞いたら、そんなことはないでしょうと言われました。ま、カトリックなので命は大切にするだろうとは思ってましたけど(←私は仏教徒なので半端知識)。

 そのあと、去年から演習をとっていた卒論担当(でも研究休暇中)のH先生のところへ行って、「卒論、1ヶ月早く出せませんか?」と相談しました。H先生もこころよく相談にのってくれて、そのためには何月までに何をしないといけない、という予定をひととおりたててくれました。そして、すんごく真剣な顔で「卒論で長時間パソコンの前に座るときは、電磁波防止エプロンしなさい。胎児に悪いから」と言われました。そんなのあるんだ!てかどこに売ってんの?と思いつつちょっと笑ってしまったのですが(後に旦那ちゃんが電気店に行ったときに買って送ってきてくれました)。



 この子のためなら、何だってできるよ。
 だって私、お母さんだもの。

 どんなにつらくたって、この子をおろそうと考えたときの悲しみを思えば頑張れる。
【2005/05/13 18:38】 10週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
私の中の思い
 産みたい。私の中の気持ちは、もうそういう方に傾いていたのでしょう。

 学校のPCで、産む方法について(経済的な)少し調べました。いろいろな制度があるのだということを初めて知りました。これなら、産んで育てていける可能性があるかもしれない、と思いました。プリントアウトして、クリアファイルに保存。

 たしかこのころ「かなしいこと」の掲示板に投稿したように思います。あとから読むとひどく混乱した文章だったな…。
 レスがきたのはそれから少しあとでしたが、自分が納得しないままおろさない方がいい、という意見や、自分がどうしたいのかが一番大切なのだという意見がありました。中に、「あなたはもうすぐ卒業、彼は社会人でお給料をもらっている、産むまで7ヶ月あるんだから、お金をためればいいじゃないの」という(つまり、あなたの状況は贅沢なのよ、という感じでした)意見がありました。すこしきつめの書き方だったけど、背中を後押しされた気分でした。

 生まれてくることのできなかった、たくさんの命がある。そして、自分がこの命を殺さなくていい可能性があるのなら。

 ちょっと傲慢(?)な考えかもしれないと思いましたが、そう思ったのも事実です。

 彼から連絡があって、彼のお母さんと明日会うことになりました。彼の結論は、親の理解を得た上で、産んで育てる、というものでした。やっぱり、写真を見たら気持ちが揺らいだと。



 このとき、旦那ちゃんはメールで赤ちゃんのこと「天使」って呼んでたんです。真剣なメールだったのだけど、なんだかドリーマーだなって思って、ちょっと笑っちゃいました。
【2005/05/12 23:03】 10週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
HPを見て。
 今日の授業も休みました。サークルには少し顔を出して、同学年のM君に相談しました。命は大切にしたほうがいいと思うよ、と言われて、少し勇気がもてました。ありがとうって思いました。

 中絶に関するHPを見ました(リンクの「かなしいこと」です)。本当に、悲しいことばかり。好きな人の子でない子を妊娠したり、男におろせと言われた人もいるのだと知りました。私はちゃんと考えてもらえて、まだいいほうなのだと思いました。
 書かれていること、掲示板、読んでいるだけで涙が出てくる。みんな同じなのだと思いました、知ったばかりなのについついおなかをかばってしまうこと。不思議だけど。そんな子をおろすのかと考えただけで泣いてしまい、止まりませんでした。

 この日考えていたこと、今の気持ちを、彼に電話して話しました。




↑は私がつけていた日記を参考に思い出しながら書きました。混乱していたときだったんだと思います。

 ただ。
 おろしたくない、それだけではちゃんと考えたことにはなっていません。おろさないということは、産むということ。それだけでなく、育てていくということ。産んだら終わりじゃないのです。そこからが本当の大変さの始まりなのです。生まれてきた命に対する、責任があるのです。
【2005/05/11 22:01】 10週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
友達に相談
 ネットが元で知り合った友人Iくん(←女性です)に会って相談しました。そういった相談をよくされるようで、話をちゃんと聞いて、相談にのってくれて、身近にこういう友達がいてよかったなぁと本当に思いました。
 彼氏に超音波の写真送ってみたら、と言われたので、そうすることにしました。

 夜は父に電話しました。やっぱり、おろせと言われました。だけど、おろせと言われるほどにおろしたくなくなるのです。涙があとからあとから、出てくるのです。



 避妊をしていなくて妊娠すること。それは、合意の上で男女がセックスする以上、二人に責任があることなのです。生まれた命に対する責任。小さな命だけど、私たちは大きな責任を負ったのでした。
【2005/05/10 23:38】 10週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
驚き、そして。。。
 3週間前くらいから、吐き気がずっと続いていました。自分では、ストレスで胃が悪いんだろう、くらいにしか思っていなくて、2回ほど内科に行きました。薬を飲んでも、なかなか学校にも行けない日々が続いていました。

 ほんとうに、たまたまでした。
 夕方、近くの診療所に行ったのです。産婦人科、小児科、内科、皮膚科などのあるところでした。もちろん、私は内科のつもりだったのですが。

 お小水とってください、と言われてとりました。診察室に入って、先生に症状を話しました。
 妊娠検査薬を見せられ、「あなた、陽性ですよ」と言われました。信じられなかった。そして、内診しましょうと言われて、隣の小部屋へ。
「説明しましょう」と言われ、出てきた私に告げられたこと。

「あなた、りっぱに妊娠してますよ」

 驚いた、としか言い様がなかったと思います。胎児の写真を見せられ、最終生理はときかれ、でも頭の中は真っ白でした。
 だけど、思い当たる節はありました。というか、彼氏がいて、セックスしていたのだから、当たり前。きちんと避妊せず、膣外精射でしていたことが多かったこと。本当に、後から考えれば当たり前なのです。
 このとき、もう9週を過ぎていました。「決断するなら、今週中ですよ」と、言われました。
 1週間。1週間のうちに、決めなければならなかったのです。母体保護法により、中絶できるのは22週未満となっていますが、12週未満とそれ以降では手術の方法が変わってくるからです。

 彼に言わなきゃ、でも平日だから9時まで仕事だ、でも誰かに相談したい、誰がいいかなぁ、そんなことを考えながら、家まで帰りました。

 嬉しかった気持ちもありました。だけど、私はまだ大学生だし、彼は社会人1年目。どうするのか。このときはまだ産むかおろすか決めていませんでした。

 とりあえず友人に電話し、バイト先のマネージャーに事情を話して、5月のバイトをすべて休みに。彼が家に帰ってから、電話しました。
 ただひたすら驚いていたようでした。考えていたけど、そのとき出た言葉は、経済的に厳しいんじゃないか、ということでした。
 その後母に電話しました。驚いたのは言うまでもないけれど。
 母にひたすら申し訳ない気持ちで、私は泣きました。自分の行動が軽率だったのだと、痛いほど分かっていたから。母はおろせと言いました。私も、経済状況を考えたら、ちゃんと育てていけるのだろうか、と思いました。だけど、涙が止まらなくて、止まらなくて、どうしようもありませんでした。
【2005/05/09 23:12】 9週 | トラックバック(0) | コメント(0) |
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。